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軍艦島をめぐる物語3
そう、あれは忘れもしない2006年の3月11日ー15日の出来事でした。
先の日記に書いた様に、「上陸できる術がある」という、かすかな情報を元に、
3月11日の晩に大阪南港からバイクで1人フェリーに乗り込み、新門司港へ向かったのであった。(12時間)
そこから、バイクで長崎市へ向かうという計画を立てていた。

しかし、その時期、とんでもない寒気が日本列島を縦断していた。
当時の気象庁のデータ3月に合わせて欲しい。

長崎県の野母崎の2006年
3月11日の最低気温 11.4℃
3月12日の最低気温 1.8℃
3月13日の最低気温 0.8℃
3月14日の最低気温 2.5℃
3月15日の最低気温 7.2℃

と、3月には見られないもの凄い寒気と時を同じくして長崎へ向かったのであった。

3月12日朝・・・。
およそ半年ぶりの九州(新門司港)に到着した。
見事に雨であった。 新門司港はまだ、前日の微妙な暖かさを残していたが、如何せん雨なので、冷たいという表現が一番であった。
低予算の旅行だったこともあり、高速道路の使用はできなく、ただひたすら長崎までの300kmを下道で走ることになった。

上陸の術は多少知っていても、長崎への道のりが全くわからない。。
人生で、行ったことの無い都道府県が佐賀と長崎といったもんで、全く土地勘がなかった。それでも、ただ自分の勘をたよりにひたすら走ったが、そうすると大分の方へ向かってしまい、大きく時間をロスした。
何度かコンビニに寄っては地図を調べ、長崎へ繋がる道を地図上でやっと発見。
途中、「長崎へ行きたい」とコンビニで道を尋ねたが、雨だし止めとけと、冷たい対応をされた。
なんだかんだで、なんとか国道3号線に乗り、博多まで行き、そこから202号線(佐賀の海側)を通る道で佐世保まで行く。
途中、福岡と佐賀の県境辺りになると雨は止み、次にもの凄い寒気が海風として感じられた。
しかしとにかく服を乾かさないことにはすすめないと、濡れた手袋を敢えて装着し乾かすなど、更なる寒気に備えて必死の運転であった。何度か、記憶が飛びそうなそんな運転であった。

そのようにして夕方5時、佐世保に到着した。その頃には、気温はおそらく0℃近くまで下がっており、あまりの寒さに、凍え死にそうになりながら、駅前の佐世保バーガーを食べた。
そこで体を温めながら少し考えてみる・・・。。
今回の旅行のリミットは3月15日朝に大阪に帰ること。
現在、3月12日 17時
軍艦島行きの闇船は、早朝しか出航しない。
となると、3月13日、14日の両日しか上陸のチャンスがないと。

もともとは今日(12日)は、佐世保でゆっくりして、明日長崎市入りし、14日に上陸しようと考えていたが、明日(13日)も確かめないと!と、
軍艦島行きの船に電話をし、明日(13日)の出航を行っているか、尋ねてみた。すると、即答で「無理」だと返答された。
闇船は、基本、波の高さが2mを超えると出航しないという条件がある、という噂は聞いていたが、どうもこれは本当らしい。

と同時に、もしかしたら14日も上陸が難しいのではないか・・・という不安がし始め、何を思ったのか、慌てて佐世保を出発し、80km先の長崎市へ向かったのであった。

夜の7時半・・・長崎に到着。
辺りは暗く、また寒く、寒さで疲労しきった体を癒すのは・・・サウナだと、低予算のサウナ「イオス」で一泊することになる。
サウナに泊まることにも一切の躊躇がない自分も旅に慣れてきたな〜と思い、明後日(14日)の上陸に、最後の望みをかけることにした。

4へ続く。
posted by: こやっぽさん | 島旅(長崎県軍艦島) | 11:35 | comments(14) | trackbacks(97) |
軍艦島をめぐる物語2
軍艦島。。。

1974年に島から人が途絶えて30年後にあたる2004年頃、その存在を偶然ネットで知った。

たまたま運動不足の解消のため、
自転車で和歌山県加太にある、友が島というかつての戦争の傷跡の残る島に行き、何かと廃墟と呼ばれる場所に興味を持ち、次のサイクリング場所を探していた時のことだった。

ネットで廃墟を検索していると、
突然、ものすごい廃墟がパソコンに映し出された。

軍艦島?
ん?
なんじゃこりゃぁ〜!という心の震えに近い感動を感じた。
たしか、下のページは当時からあった様に思う。
http://www.gunkanjima.com/
http://yattemiyou.net/archive/gunkan.html
写真を見た数分後には行きたいという気持ちが一杯で、パソコンの待ち受けは、「軍艦島」へと変わった。

当時は、絶対に上陸したい!というアツい思いを胸に、
絶対上陸禁止」というこのどこの誰が出したかわからない見えない壁をどう超えるか、模索していた。


2004年のそんなある日、バイト先の劇団員とたまたま話をしていると
1996年くらいに上陸したことあるよ」
と言われ、びっくりしまくった。初めて上陸者を発見したのであった。

1996年当時、劇団員の合宿と称して1週間近く、電気もガスも無い島で過ごしたらしい。
電気も無ければ当然お風呂もない。そうして1週間でものの見事に汚くなりきった彼らは、誰かに通報されたらしく、港に戻るとすぐに警察に連れて行かれたようであった。
警察署の中では日本語の発音や、机をさし、「アレはなんていう名前や?」と質問されたらしい。
どうも、アジアからの不法訪問者と間違われたらしい。

そんな裏話の最後に、「あの当時は軍艦島には行けたけど、その後は難しくなったらしいよ
と一言だけ言い残した。

1996年には容易に上陸出来て、最近(2004年当時)は上陸できない。。
この10年の間に何があったのか・・・。
色々と調べてみると、2001年に軍艦島を所有者である三菱マテリアル高島町に譲渡していることがわかった。

無人島と化して実に27年後の出来事である。無人島の島を今更譲渡するなんて実に不思議である。
逆に言えば、それまでの27年間の管理は、実にずさんだったんだろうな〜と容易に思いつくところである。

また、こうも考えることができる。なぜ容易に島を、廃墟という奇異な目で見に来る客に対して簡単に上陸させてきたんだろうか・・・、三菱の私有地であるという管理のずさんさ以外に、そもそも土地に対するプライドは無かったのか・・・などと、違った目線での疑問も湧いてくる。(軍艦島は、実はとても落書きなどの多い島である。)

この辺りについては、取材や調査などで明らかになっていく。(今後ね)

また、より調べていくと、
(2005年夏当時)どうも上陸の方法があるらしいという噂を耳にした。
その人とコンタクトを取ってみたが、春〜夏以降、上からの命令で上陸が相当難しくなってきているという話をポツリと言われた。

2005年、軍艦島に関して何か大きな出来事でもあったのか・・・。
調べてみると、2005年の1月から、高島町が長崎市に合併されたということがわかった。
となると、上からの上陸阻止という命令は、おそらくは長崎市を指すのだろう。

なるほど、2001年の高島町への譲渡に端を発し、市へと変わる中で軍艦島への上陸に対する阻止は厳しくなってきているのか。それは何でだろう・・・。阻止する側の人間の意図は何なのか・・・。

また、その上陸阻止の歴史を紐解くと、実に無法者が後を絶たないのが現実なんだろう・・・と思うと同時に、阻止の裏には常に上陸の術は残されているという現実もあると思った。

また先のコンタクトをとった同じ人に、
「最近、ネットでは『軍艦島を世界遺産』(後に取材)にしようと運動する人が居て、『軍艦島』『上陸』という文字はネット上には簡単には出せなくなっているんだよ。」
という言葉も口にしており、世の中に張り巡らされた「軍艦島上陸阻止」という網が、思った以上に細かい現実に直面することとなった。

しかし、上陸したいという一心で、
コンタクトを取ったある人の情報をもとに
一縷の望みをもち、2006年3月、軍艦島上陸作戦を決行したのであった。

続く。
JUGEMテーマ:旅行


年表

1974年 軍艦島 閉山→無人島へ
1996年 バイト先の劇団員が上陸
2001年 三菱マテリアルが軍艦島を高島町に譲渡
ー2004年当時 最近は上陸が難しくなったという話を聞くー      
2005年 1月 高島町が長崎市に合併される。
ー2005年9月 最近はさらに上陸が厳しくなったという話を聞くー
posted by: こやっぽさん | 島旅(長崎県軍艦島) | 10:00 | comments(0) | - |
軍艦島をめぐる物語1
連載物を書く、書くと言いながら、ブログの更新を一切しなくなって3ヶ月くらいが立ちます。

未だにこのブログに「RSS」をしている人はいるんだろうか。
それはさておき、
何だかんだで気がつけば引っ越しをし、一人暮らしという毎日が旅気分な毎日を送っています。

それはさておき(2度目)、
連載ものというのは、昨年に行った1つの島の物語についてです。
長崎県にある軍艦島という、上陸が(表向き)禁止されている廃墟の島に訪れた話です。
また、その島に映る儚さに対し、「世界遺産にしたい」と願うある団体を取材し、その彼らの動きと、彼らとは裏腹に裏にうごめく政治の臭いについてこれから書いて行こうと思います。

ではスタート。。


軍艦島・・・長崎県、長崎港に浮かぶ島。正式名称は端島。通称軍艦島。明治時代に入るまでは、ただの岩だったが、明治時代にそこから石炭が発掘されたことから島の歴史が始まる。



三菱が親会社となり、戦前の近代化を支えるエネルギー資源として、明治から終戦まで起動する。終戦後も昭和40年代のエネルギー革命(要するに石油への転換)までは、炭坑の島として、地下を掘り起こしては、土を埋め立てて、さらに地下を掘り起こしては土を埋め立ててで、6.3h(東京ドーム1個半弱)の土地に3000人近い労働者が住んだ(最大時は5000人を超えた)という超過密地域であった。その労働者を支える島は、当時としては珍しく高層アパートが立ち並ぶ大都会であった。

しかしそんな島にも転機が訪れ、上にあげたエネルギー革命により、1974年の春、労働者は去り島は、無人島と化す。全ての形を残して島から人だけが立ち去った。


古くから、対岸から見える島の形が「戦艦土佐」(だったと思う)に似ていたことから、島を「軍艦島」と呼ばれ、「端島(はしま)」という名前を呼ぶ人は少ない。

その軍艦島は、何かとメディアに登場する機会が多い。
世界遺産への登録を目指す運動。
日本の近代化を支えた島。
福山雅治の写真展。(軍艦島の写真が多し)
2ちゃんねらーの聖地として。(何となく知った)
昨今の廃墟ブームに伴って。(こっちで知った)
昨今の島旅人気に伴って。


その島について。
遠くから見ると






こんな感じである。

それはさておき、なんとなくこれ以上書くと、今後の自分の書く気を削ぐことになりそうなので、この辺で。
posted by: こやっぽさん | 島旅(長崎県軍艦島) | 12:13 | comments(0) | trackbacks(5) |
久しぶりの更新
久しぶりに
このブログも更新しようかと思いまして・・・。

今度からシリーズ物が始まります。
乞うご期待



それはさておき、
最近、ロシア市場がアツいらしいですね。
2009年A/Wのミラノコレクションの洋服はこれでもかーってくらい
防寒にこだわった服が多いそうです。

それはロシア市場を意識してとの事。
とWWDに書いてました。


そんな感じで、
次回からシリーズ物が始まります。


では!
posted by: こやっぽさん | - | 15:30 | comments(0) | trackbacks(2) |
1965年の若者の性の乱れ
旅行記はとりあえずおいときまして
先週末から一冊の雑誌を探しに、色々とブラブラと古本屋を探しまわっています。
探しているのは『令嬢画報』という雑誌です。(戦前の雑誌)
相当面白いらしいです。
まだ見つかりません。
その雑誌については、入手し次第報告いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それはさておき、先日『令嬢画報』を探しているときに、古本屋で『紳士専科』という昔でいう所の(多分)エロ本を発見しました。



背表紙には
淑女お断り・紳士読本
という、意味のわからないサブタイトルが書いてありました。

「紳士はエロ本を読んでもいいんだな」と、一人納得しました。

発行年日が1965年と、42年前に発行された雑誌で、おそらく団塊の世代のおじさまたちが「紳士以前」の時に主に読まれた本なんだと、ものすごく興味がわき、600円を出して即購入。


とにかくアツかったです。
特にアツかったのが、
「特集ルポ! 東京の若い青春の生態」
というページでした。
簡単に言うと、「最近の若い奴らは性が乱れてるよ」といった内容の特集ルポです。

あぁ〜オヤジ世代も性が乱れていたのか〜。
ってか、いつの時代も、年長者は、若いものにケチをつけたがるんだな〜と少し感じもしました。

それはいいとして、
とにかく内容がアツい。
表現がたまに差別的だぜ。

とにかく一つ一つ見て行きましょう。
見出し
「賭けに勝った青年は一晩女を自由にできる」

見出しからしてアツい。
自由にできる」ってwそりゃ淑女は読んだら怒りますよねw
賭けの内容は、女性が道路に向かって自分の財布を投げるそうです。そして「GO」という合図とともに男性二人が道路に向かって走り財布を取った方が勝ちというものです。
どっちが主導権を握っているかわからない賭けですが。

引用いたしますと
「勝者はその夜一晩、女を自分のものにできる。敗者もぐずぐずしていない。あっさりと負けを認めて身をひいてしまった。勝った方の男は、ここで公然と女の腰に腕をまわして歩き出した」そうです。
意味わからね〜。紳士ってなんだ〜。

あと、
昔、中学生くらいのときに、Aはチュー Bは・・・ Cは。。。
みたいな言い方があったと思います。
1981年生まれの人にはわかるかと思いますが、1965年当時の言い方は更にアツい。
ビート族仲間の共通語だそうです。

「5=つきあおう」(「つき合う」でなく「つき合おう」)
「7=手をにぎろう」(「手を握る」ではない)
「8=キスしよう」(「キスする」ではない)
「10=全てを許す」
「11=妊娠」
「12=おろしちゃう」(ちょっと言い方がかわいい)
という感じだそうです。

ちなみに1〜4はなんなんだろう?
あと、5のあとに7があるのはやっぱり紳士だと思う。

ちなみに、ルポでは「テンしたから帰るぜ」と男はバーテンに言って帰ったそうです。

・・・。
あっ、これって英語読みしなくちゃいけないそうですよ。
「なぁ〜、セブンしようよ」って、言い方かっこいいけど、やることしょぼいやん。






それもいいとして、
一通り、この雑誌を読んでみて思った事は、
今と違って、ネットとかがないから、雑誌に真剣に相談事を書いているってことです。
夫婦生活の悩みとか、けっこう本気で悩んで書いてました。
それほど当時の雑誌というメディアの存在の大きさがうかがえます。相当影響力もあったんだろうな〜。

影響力があったぶん、さっきの財布の賭けに負けた紳士は、自身のことを書いてある記事を見て相当恥ずかしかっただろうな〜。

そんなことをふと感じた紳士専科でした。
posted by: こやっぽさん | わたしの身の回り | 17:15 | comments(2) | - |
8月7日 呼子でイカを食う 後編
前回、「漁火」というお店でイカを食べようとしたところで終わっていたので、
今回はその続きから。


「漁火」という佐賀県呼子にあるイカ専門店にいったとさ。
イカの定食が2800円からとあり得ない値段だったとさ。
しかも、まだお昼ですよ。
「お兄さん、バイクで来たんだったら是非、イカを食べて」
と、イカ専門店に入って、イカを薦める店員さん。

とりあえず、イカ定食を。
茶碗蒸し ご飯 イカの踊り食い イカの天ぷら イカシュウマイ みそ汁 ウーロン茶 デザート
のセットです。明らかに2800円は高いです。


注文して待つこと5分。
来ましたよ。
生きたイカが。




イカ・・・動いてます。踊り食いです。
けっこう堅いです。
しかしウマーです。
30000円しか持っていってない旅行で、2800円だしたイカセットが不味いはずがない。間違いない。

ところで、その踊り食いされるイカさんは金網の上に乗ってます。横に氷が置いてあります。

その氷でイカをこすると、激しく足をあげます。
少しイヤらしい気持ちになります。




この写真がそうね。

一人旅なので、気にせず、小さい声で
「おら、おら」と言ってると、
3歳くらいの女の子が、 半笑いでイカをいじめる私をガン見してました。


少し恥ずかしくなったので、そのイカされそうになったイカをを天ぷらにしてもらうことに。
待つこと5分。

さっきまでイカの形をしていたイカさんに衣が。




もう、イカだった形跡がなくなり、いつも見る「イカの天ぷら」になってました。

味は?というと、30000円しか現金をもってこなかった私が2800円のイカセットを不味いと言うはずがない。

イカの天ぷらってけっこう美味しいんですよね。
アツアツをたべると、ひきちぎる時に少しハフハフってなり、塩と併せるとかなりイイ。
塩はたぶん呼子の塩。フリーダイバーのジャックマイヨールも愛した呼子の塩。

腹一杯になることなく、食べきりました。


そのあと、佐世保に移動。




このときには、バイクを運転しながらカメラを撮るというすげー技術をみにつけ、佐世保に行ったとさ。

佐世保では米軍基地に入ろうとしたが、勿論断られたとさ。
「すんません、見学したいんですけど」
と言ったものの
「あかんに決まってるやろ!」といったことを言われ、追い払われました。

悔しいのでずっとカメラを構えていたら、けっこうマジで怒ってました。




その日は、長崎まで移動したとさ。





ということで、次回の旅行記は何かが起こる。


乞うご期待。
posted by: こやっぽさん | 2007年夏休み | 21:08 | comments(0) | - |
8月7日 呼子でイカを食う 前編
今日は、8月7日 13時頃の話


その前に、
8月6日は、広島から山口市まで行き、そこで七夕ちょうちん祭りを見ました。

その日は野宿する予定で、公園を探してみましたが、近くの公園は、祭りのメインであって、寝れそうもありませんでした。

また、雨もメチャクチャ降ってきたため、一泊4000円の旅館に泊まることにしました。


今思っても、あの4000円は確実に、後半の我が財政を圧迫したように思います。


祭りはとても綺麗でした。




あっちなみに、祭りで売っていた、山口の地ビールは死ぬほど不味かったです。
2日くらい履いた靴下を炭酸水に沈めたような味がしました。
酒に酔っていたものの、3分の1飲んだ時点で捨てました。
あんな不味いビール、売るなボケ!
他に買っている人は誰もいませんでした。


次の日、朝早く(7時くらい)、旅館をあとにしました。
旅館の女将さんに、「夏みかん持っていきなさい」と、袋に入った夏みかんをいただきました。
いや、上の二行は嘘です。


本当は、「泊まった記念に持っていきなさい」と、旅館の名刺を貰っただけであります。しっかり営業されました。


そっから、怒濤の運転で福岡入り。(高速利用しました)
今日の目的地は長崎です。

福岡からは、地道に下道で走ることに。
佐賀市経由か、唐津経由か。。。

要するに、海を行くか、山を越えるかです。
迷わず海経由で。

なぜなら、
今日の目的は、唐津市の呼子(よぶこ)で、イカの活き造りを食べること。

呼子・・・。



地図で見ると、
佐賀県って書いた上に「唐津」って書いてあると思うんですが、その「唐」という字の上辺りにあるのが呼子です。

戦前に、「弾丸列車」と呼ばれる、物資を安定して輸送するために、大陸(朝鮮半島)と日本を結ぶ列車の構想が練られましたが、そのトンネルの日本の入り口が呼子でした。
(詳細については、前間孝則『弾丸列車』(実業之日本社 1994)を参考に、俺読んだことないけど。)
そんなかつてはアツい場所である呼子。


そこはイカ釣り漁船の町であり、イカの活き造りが食べれます。

13時頃にやっとこさ、呼子に到着。

お金がなかったので、お金を佐賀銀行のATMでおろしていたら、知らないおばあさんに後ろから、
「車の鍵がなくなったけど、お兄ちゃん知らない?」
と、5分くらい疑われました。
しつこく言われ続けたので、最後は多少暴言を吐いて銀行を後にしました。

そして、銀行の警備員さんに聞いた、呼子で一番美味いイカ造り屋に到着。
その名も「漁火」http://www.e-isaribi.com/



話が逸れて、分量が多くなったので、
今日はもう終わり。

後半へ続く。
posted by: こやっぽさん | 2007年夏休み | 21:34 | comments(0) | trackbacks(2) |
長崎の修学旅行の減少について
前回のあらすじ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
プライベートで長崎県の観光事業について調べている中で、
財団法人 日本修学旅行協会 という団体を発見。
その団体の出している調査報告の中に、「日本の中学・高校 修学旅行行き先ベスト12」というデータを発見。

長崎への修学旅行・・・
かつて、中学では14%を占めた割合が7%に落ち込み、
高校でも14%占めた割合が4%に。

それはなぜ?
と思い、電話で聞いてみる事にした。
対応したKさんの口から、驚愕の事実が!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日はその続きです。
「あのね、ぼくね、すごい気になる事があってね。あのね、長崎県って修学旅行ってへってるやん!あれ何でかな〜と。」
という感じのことを、無礼ないように最大限気をつかいながら話しました。

「あのね。ぼくね、原因はハウステンボスの経営のイマイチさと思うねん。実際どうなん?」

と、一応仮説たてましたよ的な話し方をしてみたところ、

kさん「それは関係ないですよ。」
とバッサリ否定。

そこから、K(小林)さん、学生を名乗った私に最大限に親切に説明を始めました。
「修学旅行はですね、教育という面もかねているんですよ。その中で、平和教育という観点でですね、今長崎ではなくて、みんな沖縄へ移行しているんですよ。」
「もっと長いスパンで見た場合、昔は広島が多かったんですよ。それがですね、長崎になって、最近ではね、沖縄に。」

こやま「へー、先生も沖縄好きなんだ〜」

小林さん「いえ、最近の高校ってね。生徒の多数決で旅行先決めるそうなんですがね、やっぱり青い海とかね、そういうのをイメージしちゃってね、みんな沖縄行っちゃうんですよ」

こやま「まじっすか!」

小林さん「そう、まじっすよ」


こやま「でもね、でもね、それって高校だけじゃん。中学はなぜ14%から7%に減ったん?」

小林さん「それはね、修学旅行の規定ってのがね、各都道府県の教育委員会が決めていてね、ここ最近、規制緩和で(公立の)中学生も修学旅行で飛行機に乗ってよくなったのよ。私立には元々そんな規定はないんですがね。」

こやま「へー、そうなんですか〜。そういや、友人の教師も沖縄に行ってましたね。」

小林さん「そうですよ。大阪もここ3年かな。規定が変わって沖縄が増えてきたんですよ」

こやま「でもさ、だからといって京都はずっと一位じゃん。なんで?」

小林さん「それはね、基本的に、首都圏の行き先が主に反映されるんですよ。首都圏の大半は修学旅行、関西方面に行くんですよ。臨時のね新幹線、16両編成に乗るんよ。16両編成ね。」

こやま「(16両編成って長いのか?短いのか?普通なのか?)へぇ〜、16両編成ってすごいっすね〜」

小林さん「でもね、今横浜の方でも、飛行機で修学旅行に行く学校がポツポツ出始めていてね、長崎に行ったという記録もありますよ。たしか2校」

こやま「ちなみに、高校って飛行機の規定ってあるんですか?」

小林さん「たしかどの教育委員会も飛行機は許可していますよ」


という感じで、決して、上記の文章のような失礼な話し方はしてません。

つまりですね、沖縄の青い海に持ってかれているわけですよ。長崎の修学旅行客が。
という感じで、気になったので、実際の長崎県の観光客数を調べてみる事に。


とりあえずですね、
長崎県のHPの中にですね、15年近い観光客数のデータがありました。
そのデータを解析する事に。

めちゃくちゃめんどくさい作業でした。
調べていくと面白い事がわかってきました。

ーーーーーーー以下略してもオッケーーーー
20年間の長崎県全体の観光客数を見ていますと、2000年の3100万人。一番少ない年で1988年の2310万人。2006年は2890万人と、横ばいもしくは、2000年まで右肩上がりで以降ほぼ横ばいという事がわかってきました。

次に長崎市の観光客数を調べると、1992年のハウステンボスのオープン時が570万と最も多く、あとは、ほぼ500万人で安定しています。
ハウステンボスのある、佐世保はハウステンボスの出来た前後で観光客数は、300万人から600万人に伸び、2000年あたりは740万人で安定し、最近は600万で安定しています。

ーーーーーーここからは重要ーーーーーーーーー
長々と調べてはみたんですが、別に全体としては減ってもいないじゃん!って結論に至りかけました。
そんな中、ある長崎の人に話を思い出しました。
「宿泊客数が減っていて、今、観光客の大半は長崎の人なんだよ」

ということで、長崎市に宿泊する人の数を調べてみる事に。
すると、面白いデータがとれました。
1991年 366万人
1996年 307万人
2001年 246万人
2005年 231万人
と、やっぱり観光客数は減ってることがわかってきました。
そのため、長崎では色々と工夫を凝らしている事がわかりました。

2006年の「さるく博」とか、その中心に居たのが伊藤一長であり、現長崎市長なようです。

そんな感じで、途中から脱線しましたが、修学旅行を今は生徒が選ぶ時代・・・。
いいのぉ〜。
ってか、長崎からすればやってられんばい。
資料
posted by: こやっぽさん | 日々の疑問ーリサーチ編ー | 18:10 | comments(0) | trackbacks(2) |
長崎の調べ事。
「あなたは、修学旅行、どこにいきましたか?」

そんな問いかけをたまにします。

大阪人だったら、
小学校=伊勢か広島?
中学校=長野か九州?
高校=沖縄か北海道かスキーか

と、そんな風にある程度規則性はありますが
ならば、全国で一番多い行き先はどこ?

と、考え出したらけっこう難しいです。

でもやっぱり
気になったらやっぱり調べなくちゃ、ととりあえず調べてみることに。




・・・
ありました。
日本の修学旅行の行き先を調査をしている団体が。。。



その名も
「財団法人 日本修学旅行協会」


おそらく、ネットが世の中になければ絶対知らずに一生終えたでしょうw興味がなければ気にならねー。


しかもここ10年の
中学・高校の修学旅行の行き先ベスト12を掲載しているではないか!


早速、その資料を2日間くらい見てみる・・・。

凄いことは、中学の修学旅行先1位はずっと京都です。
高校も京都がかつては1位が、今となっては沖縄が1位


しかし、わたくしには
そんなことは、特に興味がありません。

私の興味は長崎県の動きです。
かつて、中学では14%を占めた割合が7%に落ち込み、
高校でも14%占めた割合が4%に。

なんで?なんで?
ずっと考えていました。


仮説として平成15年2月のハウステンボスの経営破綻(正確には潰れてないけど)が影響しているんだろう・・・と思っていました。
いや、そうに違いないと確信してました。


いや、大抵思いつきは当たらないと、東京の「財団法人 日本修学旅行協会」に電話をしてみました。

修「もしもし、こちら日本修学旅行協会です」

コヤマ「すみません、関西学院大学、社会学部のコヤマと申します。卒論で長崎の観光事業を書こうと思いまして(中略)」

修「わかりました。詳しい者に替わります。」

という感じで、基本、電話の時は学生ぶります。

そして、詳しいもの(Kさん)に替わり詳しい話を聞くと・・・。


予想だにしなかった
驚愕の事実が!!!



続く・・・
posted by: こやっぽさん | 日々の疑問ーリサーチ編ー | 23:01 | comments(0) | trackbacks(2) |
ブログ炎上
私の好きなブログというか、ウェブマガジンですが、
pingmagが珍しく面白くない記事を載せたところ、炎上しました。
pingmagのHP
この記事

日本語と英語で紹介していますが、英語でも批判されています。
取材した人が開き直っていて、何か目指す職業って大変だなと感じた次第です。

それはさておき、このサイトは
すっごい最先端のアートなどを紹介してくれるところで、
始まったのは、2005年の4月〜。
1回目の記事が、すでにアートです。
かなり脳裏に焼き付く内容でした。

それはさておき、

iPodのcmを作っている制作会社の話が個人的には面白く、
ほぼ毎日更新されるから、めちゃくちゃいいですよ〜。

あとは、デザインバーコードも好きだな。
この人たちは天才だなと思うし。

posted by: こやっぽさん | わたしの身の回り | 00:08 | comments(2) | trackbacks(0) |